そこで荒尾二造について

 「荒尾二造」といえば中央区の児童公園横に残っている「変電所」跡が有名ですので、写真を取りに行きました。「案内板」に詳しい説明がありましたので、コピーします。

荒尾二造の概要

 第二次世界大戦中、この周辺一帯は、昭和141939)年に陸軍省が旧荒尾町、有明村、八幡村の100万坪を買収して造った「東京第二陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)荒尾製造所」(通称「荒尾二造」)という官営軍需工場地帯でした。

 この変電所は、昭和181943)年12月に造られ、全長約32m、奥行き約8m、高さ約8mの耐火性の高い鉄筋コンクリート製で、山の斜面を利用した半洞窟施設です。

 2階の壁面には、終戦後の米国等の連合国によって、「Transformer substation」(変電所)と、接収番号を示す 284が書かれています。

 また、荒尾二造には、万田(現・荒尾)駅と結ばれた専用鉄道が走っており、この変電所から電力が

送られていました。戦時中は軍需品の輸送や従業員の通勤用に使われ、戦後になると、昭和241949)年3月1日から昭和391964)年9月25日までの約15年間、荒尾市電として利用されましたが、荒尾市電の廃止に伴い、この変電所の利用はなくなり、現在、機械類は撤去され残っていません。

c0329378_20464644.jpg
確かに書いてありますね

戦後の平和利用

 戦後、昭和201945)年10月23日付で、荒尾二造の全財産の管理は、陸軍省から大蔵省、翌年3月31日付で大蔵省熊本財務局(のち南九州財務局となる)の管轄となり、荒尾出張所が設置されました。

 この南九州財務局荒尾出張所は、昭和411966)年に廃止されるまで、財産の管理と処分を行い、荒尾二造の機械類は賠償物件として処分されました。

 荒尾二造の広大な土地や建物は、荒尾市、熊本県や民間などへ払い下げられ、市営住宅などの住宅施設や荒尾高等学校などの教育施設、運動公園施設、荒尾市民病院などの医療施設、水道施設、民間工場への転用などが進んだことで、社会資本の基盤が整備され、荒尾市の戦後復興や発展に貢献しました。

戦後復旧のモニュメントとして

 本市の戦後の復興と発展の過程における、荒尾二造の社会資本整備に果たした役割を顕彰する象徴的な施設として、荒尾市はこの変電所跡地を、平成252013)年3月、九州財務局から所有権を移転し、取得しました。

 




[PR]
by hiromu311888 | 2016-02-24 20:50 | その他 | Comments(0)